目が覚めてもブルーじゃない朝を取り戻せ 〜ずっとやりたかったことを、やりなさい〜

「ずっとやりたかったことを、やりなさい」/ジュリア・キャメロン著 菅靖彦訳


自分の好きなことが、ただ純粋に好きだった時代が誰にでもある。
心から楽しんで絵を描くこと、歌を歌うこと、人と話すこと、そして、文章を書くこと。しかし時が経つうち、ふと当り前にできていたことができなくなっている自分に愕然とするのだ。
「私のアイデアは、感受性は、創造性はどこに行ってしまったのだろう?」


著者のジュリアは、脚本家として活躍していたが、ある時から楽しかったはずの創作活動が重荷になってしまう。批判を恐れ、アルコールに頼らなければ作品に向かい合えなくなる。本書は、そんな最悪の状況から立ち直った彼女自身の経験をもとに、創造性を取り戻す方法について書かれている。


「何としてでも心に取り戻さなければならないものがある」
必死に、または漠然とそんな思いを抱える人にぜひ読んでもらいたい。

この本のオススメポイントは、以下の通り。

●精神論だけではなく、飽くまで実践主義。ワークをこなすことで早ければその日から結果が出る(そのかわりサボるとまったく効果がない)

●著書をはじめ、同じ苦しみを抱えている様々な具体的なケースが紹介されているため、自分に置き換えて考えやすい。

●失った感性を取り戻すだけでなく、まったく新しい自分を発見する可能性がある。


私は子どものころから文章を書くのと読むのが大好きで、ずっと小説を書いてきた。社会人になっても情熱は薄れず、小説や脚本などたくさんの作品を書いた。趣味の範囲ではあるもののたくさんの人に評価もされたし、メジャーではないが賞も取った。とにかく創造することが楽しくて仕方なく、アイデアが枯れることなど考えられないほどだった。今思えば、その頃の自分に見るべきものがあるとすれば、作り出す作品の質ではなく、その前向きで明るい情熱だったのだと分かる。


そして現在、フリーライターとして活動しはじめたのだが、思わぬ、というかよくある壁にぶちあたっている。
初めて、小さい仕事ながら「書く仕事」をもらった喜びは大きかった。しかし、気付けば「書く」ことは楽しみから「義務」に代わり、徐々に苦痛に変わっていく。ついには、もらった仕事を何とかこなすことに精一杯になり、並行して書き続けるはずだった長編小説がほったらかしになっている。私の本質は、アーティストだったはずなのに。
たくさんあるはずだった楽しい妄想も浮かんでこない。魅力のある文章を目指せば目指すほど、人に褒められることはなくなってゆく。ただただ、暗い不安が目の前にあるだけなのだ。


前置きが長くなってしまったが、本書をレビューするにあたって自分の状況を説明しておきたかった。
「ずっとやりたかったことを、やりなさい」は、流し読みするだけでは意味のない本だ。本書に書かれているワークを第十二週にわたってこなしていくことにより、アーティストとしての自分を取り戻していく。


主なワークは次の二つだ

●モーニングページ …… 毎朝起きてすぐにノートに3ページ分、思ったことを書き連ねる。日記ではなく、頭に浮かんでくる雑念やイメージをただ書きうつすだけ。いわば脳の排水作業。

●アーティストデート …… 週に一度、自分の心の中に住む、「アーティスト・チャイルド」とデートをする。要するに、一人で子供のような楽しみに浸る時間を作る。できれば映画や読書ではなく、工作や歌に合わせて踊るなど、能動的なものが好ましい。


他にも週ごとに異なったワークが科せられるが、基本的には上記二つを継続することが重要とされる。百聞は一見にしかずというか、案ずるより産むがやすしというか、とにかくやってみないことにはその重要さもすばらしさも絶対わからないのがこのワークの特徴だろう。
特にモーニングページは、一週間くらいは書くことがなくて苦痛でしかたがない。そのうちだんだんとコツがわかってくる。本当に、頭に浮かぶことを順に書くだけでいいのだ。


「朝だ、あさあさあさ。嫌だなぁ。何が嫌なのか。嫌だからいや。鳥が鳴いている。今日はゴミの日だし、まだまとめてないからめんどうくさい。まぶしい寒い。眠い、眠い眠い眠い」

ざっとこんな感じ。これを毎日書くことに、一体なんの意味が? と最初は大きな抵抗を感じる。特に、「文章はきっちり書かなくては」という思考に束縛されている私の頭は、容易に柔らかくならなかった。しかし、三週間くらいたって初めて自分のモーニングノートを読みなおし、ふと疑問に思う。


「私は何がそんなに嫌なんだろう」


普段意識したこともなかったが、私は毎朝意味もなく「嫌だ」と書き続けていた。はて、昔から寝起きは悪いほうだけど、そんなに朝が嫌なのか……。
その日出てきた文字は、自分でも予想外のものだった。

(丸い形の「心」の周りに、二重三重の壁が取り囲んでいる絵)
「自分の心の中に、入っていけない。何かきれいなものが見えるけど、すぐに見えなくなる。入っていこうとすると、何かが邪魔をして集中できない。直視できない。恥ずかしい、しんどい、……)

それが何を意味するのか、答えは私の個人的問題だ。
ただ、この自分からのメッセージは、頭だけで悶々と考えていた日々からは決して出てくることはなかったものだ。


モーニングページがなぜ効果があるのか、その理屈はわからない。だが確かに何かが変わってゆく。仕事の執筆はもちろんブログの更新も楽しくなり、アイデアがひらめくようになった。失っていた感覚が少しづつ戻ってくる。夜明けの空のグラデーションや、曇り空の時の風や、夕方の匂いが鮮明に感じられる。長い間手を付けていなかった小説も再び書き始めた。アーティストデートはさぼりがちだが、どちらも将来にわたって続けていく価値がある思う。


また、私が本書で最も感動したのは著者の「アーティスト」に対する敬意である。この本では一貫して「アーティスト」という言葉を肯定的に使い、読者はみんな「アーティスト」だと勇気づけてくれる。
「アーティスト」をどう定義するかは人によって違うとは思うが、少なくとも著書は職業という狭義の意味でこの言葉を使っていない。何の皮肉も、何のためらいもなく、自分を「アーティスト」である、と認める。そのことだけで、大きな解放感を感じることができた。


個人でライターの仕事を始めて気付いたことだが、「アーティスト」という言葉が良い意味で使われることが非常に少ない。
「アーティストじゃないんだから、ちゃんとユーザーの要望を聞いて……」や
「アーティストじゃあるまいし、プロとしてわがままを言うべきではない」といった風だ。
もちろん、それらはある意味で正しい。ただ、プロの仕事が厳しいことと、「アーティストがわがままで、自己中心的である」ということは、本来は何の関係もないことなのだ。



著者のジュリアは言う
−あなたが何歳で、どのような人生を送ってきたにせよ、また、創作することが職業、趣味、夢のいずれにしろ、自分の創造性を引き出すのに遅すぎるということはないし、利己的でわがままだということもない。愚かすぎるということもない。

その言葉を信じ、これからどんな道を進もうとも「アーティスト」であり続けようと思う。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。