連休最後の夜

目が覚めたら雨が降っていた。昨夜は朝まで遊んで、帰って来てから何度か眠り、何度か目覚め、ちょっと外でも行こうかなと思ったらもう日暮れ。
起きたらもう一日が終わりというのは何度やっても気が沈む。しかし昼間眠る快感というのもまた格別なのだ。


着替えながらハンガーに吊るされた昨夜着ていた服を見る。
キラキラのスパンコールのトップス、二次会用に買ったものの着る機会がなかった服なので、活躍できてよかった。
巻いていたスカーフは、休みの最初に母親に買ってもらったもの。一足早い誕生日プレゼントで、気に入った柄だったので鏡を見るたびにやけてしまった。そのお返しにスカーフの値段を上回るプレゼントを母にすることになったのだが。とはいえそれを差し引いても、気にいったものが手に入るのはうれしいものだ。


友達と連れ立っての、久々の夜遊び。最後にクラブに行ったのは何年前かわからない。が、ああいう場所は意外にいつ行っても変わらないもので、自分の年齢が上がっただけで、特に居心地の悪さも感じなかった。なんて言うかふてぶてしくなったのかも。音楽は好みじゃなかったけど、それなりに楽しむ。一緒に行った友達は一目ぼれの相手を見つけた。呆れたふりをしたけど実は結構うらやましい。実際にどうなるかとかは置いておいて、恋に落ちるのは快感だ。


雨の中、書店まで歩く。目当ての新刊は見当たらず、代わりに夢枕獏の「黒塚」購入。ミスドに入ると人影はまばら。ノートPCを前にストイックに仕事らしきものをしている男性と、買い物帰りらしい若いカップル。コーヒーを飲みながら、たまっているメールの返信を打つ。あまり気乗りせずにさっき買った本のページを開いたらこれが止まらない。読み出したらとまらない系の作家はあまたいるけれども、夢枕はその筆頭といってもいい。読みやすいのに濃い。濃いのに読みやすい。結局閉店間際まで読み続ける。気付くと店内には誰もおらず、ドーナツをひとつお土産に買い、また雨の中、帰途についた。


いくつかのブックマーク、サイトをうろうろしながらお風呂にお湯をためる。明日納期の仕事を最終チェックして、編集部にメールする。俳句と短歌にコメントをつけるというこの仕事はたまたま見つけたものだけど、やってみると想像以上に自分に向いていることが分かる。誰かが作った作品から思いをくみとり、イマジネーションを広げる作業は楽しい。少なくとも、自分にある能力だけを使ってできる仕事だと思う。何度か立て続けに依頼が来るところを見ても、それなりに評価してくれているということだろう。取材やインタビューが向いてないとは思わないけれど、やはり相応の努力をしなければいけないというか、自分にはない切り口を模索しないといけない。


自分らしくとはどういうことだろう。単にエゴなのかもしれない。人に合わせるということ、誰にも譲らないことは両立するのだろうか。自信がないから、私の意見は通らないのか。夢はかなわないのか。そもそも、自信がないということは責められなければならないことなのだろうか。自分だけが正しいと信じることで、人はあきることなくすれ違い続ける。結局私は私のことしか考えていないと思う。あなたが好きな私を私は好きなのだ。私は変われるだろうか。たぶん性質は変わらない。だけど考え方は変えられるだろう。


おやすみなさい。