偽らない心のままで偽る

「金のため」「将来の計画のため」「世間体のため」という動機が、偽りでつまらないというのも偏見でしょう。

と、いうか、欲望の質は、両者同じことだ。結局は「自分のしたいようにする」というだけのことなのだから。

実際問題、「私は自分にウソをつかない」と、言い切る人間ほどウソをついている。
もしくは、まったく自分を客観的に見ることができていないだけだ。

人生をまっとうに生きようとすればするほど、そんなことが言えるわけがないと思う。
自分にも、他人にもね。

だから、誰かが自分で選んだものには、ほかの誰も口を出す必要がないし、笑顔の裏の意味など、知る必要もないと思う。相手から、助けを求めてくる時以外は。

それでも口を出したい、知りたいと思うのならそれも良いけれど、それは自分勝手な己の欲望であって、相手のためなどではないと自覚するべきだ。


要するに、「平凡な幸せがほしい」「安定がほしい」という動機で、あれこれ我慢したり、不自然なまでにぶりっこしたりする人がいたとして、それのどこが「自分を偽っているというのだ」、ということで。

うまく言えないけど、自分のドラマと他人のドラマを混同しちゃいけないと思う。