志摩スペイン村に行くくらいの気持ちでアメリカに行ってきた その1

出発直前まで、あれこれ忙しくて旅行の準備がほとんどできないまま当日を迎える。

ESTAは焦りつつも何とか期限内に申請、海外保険は出発ギリギリに加入。
着替えや化粧品はそのへんにあったものをとりあえずキャリーケースに詰め込む。

ノートパソコンは使っているそのままの画面を閉じて、手荷物へ。
サングラスと帽子は現地調達。貨幣の両替は一緒に行く人にお願いしてしまった。
おりしも円高ドル安。出発の朝の為替は1ドル91円。

とりあえずパスポートがあれば国外には出られる。とにかく行こう、飛行機乗ってから考えよう、そんな感じで家を出る。

ほぼ10年ぶりの海外旅行。行先はラスベガスとサンフランシスコだ。

関西空港は寂れている、と言われているがそれでも連休の旅行客でにぎわっていた。
最近行ってないから知らなかったが、ロビーで無料Wi−Fiが使えるので出国前の最後のネット接続。しかし繋がるのは待合のベンチがある狭い範囲のみ。出入り口が近いので人通りが多くて落ち着いてメールできない。騒がしいっての。どうせならコーヒーショップの前のベンチで使えればいいのに。

しかし、Wi−Fiは便利だ。ネットの接続って、一昔前はあれこれめんどくさかったはずなのに、すごい技術ができたよなーと思う。日本でさえ使えるスペースが増えてきてるんだから、本場(?)アメリカなら楽勝だろ、と思った。この時は。

この後、アメリカ旅行はWi−Fiエリアを探す旅だったと言っても過言ではないくらい、あらゆる公共の場をジプシーするはめになる。なまじ使えるはずと思ってるから、ネットに繋がらないとものすごいストレスに感じるんだよなー。

行きの飛行機は怖かった。いや、特に揺れたりはしなかったけど、飛行機が久しぶりすぎて。どう考えても飛ぶとは思えないのに飛ぶんだもの。

離陸直後、泉州の海の上に、漁船が小さく光っている。「あ、まだ今なら落ちても助かる」と言うと、同行のNさんが「助からない助からない」と言う。
あ、そうか、もう落ちたら助からないんだ……。
窓から見える翼は、風を受けて思いっきりたわんでいるよう見える。いや、気のせいじゃなくたわんでいる。今にも折れそうな気がする。
救命具の説明を真剣に聞く。座席のマニュアルを見る。しかし落ちてしまったら、呼吸がどうとか、すでに関係ないかも。
この足元の下には、何千?いや1万メートルもの虚空が広がっているんだと思うと、一瞬頭がクラクラする。もう生涯飛行機には乗るまい。そう思うほど怖かった。

でも機内食は食べた。というかその頃になるともう慣れた。
ビーフオアチキン?」で、チキンをプリーズすると、照り焼き丼だった。意外なほどおいしい。そしてびっくりするほど量が少ない。男性なら足りるわけないと思う。

食事をして、小さなディスプレイで「ターミネーター4(日本語吹き替え・中国語字幕)」を二回繰り返し見て、寝たり起きたりしているうちに、8時間が経った。

まずは中継地点のサンフランシスコに到着。ここを経由して、ラスベガスに向かう。(続く)