もうすぐ夏だし、蕪村の句でも見てみよう

最近、俳句と短歌の評論の仕事をしています。
(アートコミュニケーション発行「藝術百家」30号と31号(たぶん)掲載されていますhttp://www.artcommunication.jp/

それで、改めて俳句っていいな。と思ったのですが、どういう切り口で書けばいいのか分からず先延ばしになっていたので、とりあえず自分の好きな句を並べてどんなテーマに広がるか、探っていこうと思います。できたら何回かシリーズにしたい。

俳句と言えば芭蕉、なのですが個人的に一番衝撃を受けたのは与謝蕪村の句です。(芭蕉の句はまた別の機会に)
絵画的で、ドラマチック。なぜただ五七五だけの文字の中に、映画のワンシーンのような情景を封じ込めることができるのでしょう。

紹介したい句はたくさんありますが、今回は誰にでもわかる、インパクトの強いものをいくつか挙げたいと思います。
ちなみに、句は”見る”ものじゃなくて”読む”ものですが、私は敢えて”見る”と言いたい。特に蕪村の句は、読むものじゃないです。一瞬で全ての風景が文字を通して脳裏に焼き付く感じ。

「どうして蕪村でこのセレクトなんだ!」というツッコミはあるでしょうが、なにとぞご容赦ください。


菜の花や月は東に日は西に
高校の授業でこの句を見た時の感動は忘れらません。これはどんな子どもでもバカでもわかります。美しい一枚の絵です。最初に蕪村を好きになったきっかけの句。なんかもう、どこにも無駄も不足もない。完璧です。これが俳句か、と圧倒される作品。しかも何度目にしても新鮮なのがすごい。

牡丹散て打かさなりぬ二三片

山蟻のあからさまなり白牡丹
これも一枚の絵のような、写真のような瞬間を封じ込めた句です。牡丹散て〜の句なんて、シンプルすぎるように思えてしまいますが、では同じものが作れるかというとそうではない。「打ちかさなりぬ二三片」というフレーズがさらっと出るところがすごいのです。山蟻の〜、の句の方は、白い花びらにたかる蟻の黒色が生々しいです。


草の雨祭の車過てのち
これも情景がすぐに浮かぶ句。遠い遠い昔の、夏の雨が目の前に広がるってどういうことでしょう。ていうか今の句でも充分通用するって。上手い句って、余計な説明がなく、完璧に何かを伝えてくるんですよね。「祭り、楽しかったよね。でも終わった後の静かな夏の雨もしみじみしていいよね!」みたいなことをそのまま言ったりしない。あくまで情景だけで伝えるんです。


昼舟に狂女のせたり春の水
岩倉の狂女恋せよほととぎす
蕪村の句を意識して探して読むようになって、衝撃を受けた句です。すごいインパクト。これこそ、映画かお芝居の一幕、もしくは長編小説一本分のストーリーが込められている気がします。蕪村にはほかにも、”狂女”をうたった句がいくつかあります。”狂女”は文字通り、狂ってしまった女、ということらしいですが、マッドなニュアンスはなく、どの作品にも儚い、優しいエロスが漂っています。蕪村にとって”狂女”ってどんな存在だったんでしょうか。
昼舟に〜、が特に好きですねぇ。