日常という永遠の迷宮 〜スカイ・クロラ〜

DVDで鑑賞。

近未来(?)の平和な世界。完全な平和を維持するため、人々は「ショーとしての戦争」を求めた。戦闘を請け負うのは、”キルドレ”と呼ばれる存在。新薬開発の過程で生まれた彼らは、思春期のまま心も体も年を取らない。寿命で死ぬことのないキルドレたちは、戦闘機のパイロットになることで、唯一生きる実感を得ることができるのだ。空の上で死ぬ以外に、彼らの日々を終わらせる方法はないのだから……


話では聞いていたけれど、やはりすごいのが空中戦の映像。実写顔負けのリアルな描写にはため息が出る。
比較して地上での生活は淡い色調の平坦な絵柄で描かれているのは、キルドレたちが空の上でだけ世界を鮮やかに感じられる、ということを表現しているのか。


押井守監督の映画は、「ビューティフルドリーマー」しか見たことがないのだけど、同じテーマを扱ってると感じた。繰り返す終りのない日常、知らないうちに忘れ、繰り返してしまう過ち。抜け出そうとしても、容易には抜け出すことができない。

これが何かの比喩であることはあきらかだが、その答えがまだはっきりとつかめない。
思春期のまま時を過ごすキルドレたちは、おそらく現代に生きる”私たち”なのだろう。家を継ぐ義務からも結婚する義務からもほぼ解放され、趣味も遊びも理解され、”大人”になる必要が薄れてきた若い世代の”私たち”。(どの範囲までが”私たち”なのか微妙なところだが。私は実はその中にはすでに入っていないのかもしれない)
あらゆる心配ごとがなくなり、ヒマな時には楽しいことだけしていて構わない。人間関係も無理に頑張る必要がない。しかし、自分たちの前には”大人”の存在が立ちはだかって追い越すことができない。そんな日々が終わることなく続く。それは果たして、天国か地獄か。


キルドレたちは永い時を生きるうち、だんだん物事に執着しなくなり、過去の記憶があいまいになってゆく。
永く生きていても同じ繰り返しの中では成長することはなく、ユーイチとスイトは、何度でも出会い、何度でも恋に落ちる。
その無限に続く迷路を、肯定することでこの映画は終わる。たとえ何も変えられなくても、どこまでも続く道を行ってみればいいのだと。


原作を読んでいなくてもストーリーは何とか分かるが、ちょっと説明不足な気もする。彼らが生きる世界の奥行きが見えてこないのがもどかしい。
「ショーとしての戦争」というのは、人々がみな理解していることなのだろうか。スポーツみたいなもんとして楽しんでいるということ? 最終目的はショーだとしても、表向きは国家の戦いだとしておかないと、本物の”ショー”として熱中できないんじゃないだろうか。某大国が力の誇示のために中東に攻撃をしかけたのも、ある意味”ショー”的要素が強かったけれど、ちゃんと大義名分は用意していたし。嘘でもそれらしい動機がないと、キルドレたちだって生きる実感持てないんじゃないの? などと、要らぬ心配をしたりして。


個人的には、キルドレが体だけじゃなくて心も思春期のままというのが面白かった。スイトとトキノは、大人ぶった子供なんだよね。煙草を吸ってもポーカーフェースを気どっても、決して大人じゃない。大人の心が子供の体に宿っている、という風には見えないのだ。トキノの妙に斜にかまえた態度だって、背伸びした子供の域を出るものではない。彼はいつまでたっても、娼婦たちにはかなわないだろう。
そういう意味では、三ツ矢が一番素直に自分の年齢を生きてるな。ユーイチは、そんなことに無自覚というか、自分の立ち位置やキャラづくりに無関心で、子供の中ではちょっと変わった存在かもしれない。自我が薄いというか。それが最後に覚醒するわけだけど。
これも個人的なんだけど、ユーイチかわいい。萌えだな。天然なのに強引なとことか、モテそう。事実、スイトも三ツ矢もユーイチしか眼中になかったし(笑)

スカイ・クロラ [DVD]

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