ピカピカのその車は誰が受け継ぐ 〜グラン・トリノ〜

久々の映画館での鑑賞。いつものクリント・イーストウッド監督作品と同じく、ストレートな情熱と、優しい気持ちを見逃さない繊細さにあふれた作品だった。

妻に先立たれた孤独な老人ウォルトは、他人に心を開くことができず、息子や孫たちとの関係もうまくいかない。ふとしたことから隣家に越してきたモン族の姉弟と知り合ったウォルトは、最初は移民の彼らを嫌って遠ざけようとする。しかし次第に彼らの優しさ、誠実さに心を打たれ、友情を深めていくのだが……。


ウォルトという頑固な主人公は、よくも悪くも古き時代のアメリカそのもの。
元軍人で正義と力を重んじ、フォード製の自動車を愛し、友人同士での悪態を楽しんでいる。
かたくなとは言え、彼は元来素朴な人間だ。だからこそ、スーやタオの素直さ、真面目さに触れ、すぐに彼らを受け入れた。隣人たちを悩ますチンピラたちを脅して追い払うなど、スーたちの力になろうとする。
しかし、力を信じすぎているところに、ウォルトの弱さがある。大事な友達である姉弟を守ろうとすればするほど、暴力と武器を使うことになり、報復は報復を呼ぶ。とうとう訪れた最悪の状況の中、ウォルトが選択した最終手段、それこそがこの映画の核となるものだ。


改めて、イーストウッドってすごいと思う。この映画をアメリカに居ながら、アメリカを愛しながらも作るというのは、尋常ではないほどの深い思いがあるはずだ。映画からまっすぐに届くメッセージが胸を打つ。見終わって感動にうちひしがれるが、この届いたメッセージの正体はなんだろうと考える。それが彼の映画のテーマだと言われる”贖罪”なのだろうか。
自らの行いを悔い、反省し、正しい方法でやり直すということ。
この映画は武力にたよるアメリカを批判している。しかし、同時に祖国を深く愛してもいる。


暴力による負の連鎖を終わらせる方法が、ウォルトの最後だとすると、監督は自らが犠牲になるべき時が来たと言うのだろうか。そして古きよきアメリカの遺産、名車グラン・トリノを受け取る資格のある者とは……。その答えを推測すればするほど、衝撃的すぎる。


イーストウッド作品は、登場人物の描き方がこまやかで好き。今回で言えば、息子や孫たちも、人間らしい気持ちの持ち主であるとさりげなくフォローしているところがよかった。(ほんとにさりげなくだけど)個人的に、嫌なやつが嫌なやつとしてしか描かれていないとストレスがたまる。そんな一面的な人間がいるはずないし。ハリウッド作品だとそういうのはあきらめるしかないんだけど、この監督の映画はかゆいところに手が届くというか、そういう引っかかりを感じない。そういう意味で、イーストウッドは日本的な感覚を持っている人なのかもしれないと思う。