雪が降ったあとで

kajikajitomomo2009-02-17

今日は雪が降った。
雪がやんだあとで、ぼんやりとバスを待つ。
空気が凍るように冷たいが、日が長くなった。空が夕暮れの色を保つ時間が少し長くなってきた。


空の色って完璧だな、といつも思う。
春だろうと、夏だろうと、寒い冬だろうと
田舎だろうと都会だろうと
こんなにも深くて大きくて、美しい色のものがあるだろうか。


空はきれいだ。こんなにも贅沢なものを毎日好きなだけ見ていいなんて、すごいことじゃないだろうか。
とあらためて思った。


朝焼けや、夕暮れや、ただ青い真昼の空なんか、同じものはどんなにお金をかけても作れやしない。
でも実際に、空はどんな人でも仰ぐことができるし、お金なんか一円も払わなくていい。


月が出るのもすごいし、星もありえないくらい壮大なショーを私たちに見せてくれる。
自然てすごすぎる。こんなすごいものを味わえるのに、毎日当たり前にやりすごすなんて、そっちの方がおかしいくらいに思える。


たとえ目が見えなくても、風があるし、日差しもある。


身の回りの幸せに気づきましょうとか、そういうこと、綺麗ごとと思ってたというか、あまり素直に受け止められなかったけれど、今なら分かる。それは気休めなんかじゃなくて、動かしがたい事実なのだ。


「私たちは、氷砂糖をほしいくらい持たないでも、きれいにすきとおった風を食べ、桃色のうつくしい朝の日光を飲むことができます」


という宮澤賢治の言葉を思い出す。
思い出して、今あらためて調べてみたけれど、この言葉はほんとに奇跡のようというか、すばらしい。


最近、言葉は知っていても、その意味をちゃんとは知らなかったなあということがよくある。
賢治の言葉も、そのひとつ。