「私とあなたを決めるもの」

「お仕事ですか?」
「いいえ、遊んでて終電逃しただけです」

答えながら、助手席の後ろに貼ってある自己紹介を見る。最近のタクシーは車内に運転手のプロフィール表示があり、名前、顔写真、趣味などが分かるようになっている。スズキさん。釣りとカラオケが趣味、という情報と話しかけてくる声の調子から、人と話すのが好きで明るい性格ということがうかがえる。年齢は50半ばくらいか。


「まだ結婚してないでしょ」
「分かりますか」
「いつまでもそんなんじゃダメだよ」
「まったくですね」


お客は自己紹介を首から下げてはいない。多くの運転手がそうであるように、彼も全体の雰囲気と受け答えで人を見ているのだろう。
高速に乗れば、家まで約40分。ノリのいい人で、たくさん話をした。スズキさんの家庭のこと、仕事のこと。娘さんが大学に受かった話まで。こちらは向こうの言うがまま適当に話を流していたら、いつの間にかバリバリのキャリアウーマンで、部下も大勢いるけど男運はない、みたいなキャラを作られていた。自分でもつい乗ってしまったおかげで、家事は全然ダメでいまだに母親に何でも頼っている、という設定がさらにくっついた。


人の正体を定めるものとは、何だろう。履歴書やお見合いの釣書。どんなに丁寧に個人情報を書き込んでも、自分のことなど少しも伝わらない場合もあるのに、一方ではお互いのことを知らなくても自然に話すこともできる。個人を示す情報など、実はなくても全く困らないものかもしれない。


「私ね、ほんとは仕事辞めてしまって、文章書く勉強してるんです」


車を降りる時、そう言ってみた。スズキさんは普通に、頑張ってね、と笑っただけだった。


楽しかった。ありがとう。知っていようが知るまいが、声から表情から、その人自身があふれ出し、知らない間に伝わっている。