”ホントにあった”を信じたい?  〜「実話」怪談に思う〜

学校の課題として1年くらい前に書いた。備忘録として。


真っ暗な新月の晩。部屋に集まった人々は順に怪談話をし、行灯の灯火を一本ずつ消していく。百本ある灯心から全ての火が消えると、何かが起こる…。江戸時代の怪談集『伽婢子』(浅井了意著)には当時の「百物語」の様子が描かれている。
暗闇が明るく照らされるようになった現代になっても、怪談は健在だ。書店に行くと、怪談本のコーナーには不気味なタイトルが並んでいる。『怖すぎる話〜本当にあった超怪奇譚〜』/『本当に起きた心霊実話』/『ホントにあった呪いの都市伝説』/…
キーワードは「実話」。棚に並んだ本の約三分の二が、実話であることをタイトル、もしくは帯で強調している。(ジュンク堂書店・難波店にて調査)調べてみると、近年の怪談本には同じ傾向が見られるようだ。  この手の本では、大ヒットした『新耳袋』シリーズも実話をアピールしている。現代の怪談本において「実話」は重要な要素であるらしい。なお、ここでは「実話」についての科学的真偽は問わず、あくまでもエンターテイメントの怪談本を対象にした。
売る側が戦略に使うということは、(意識的かどうかに関わらず)それなりに効果があるからだろう。憶測だが「実話」怪談と文芸作品としての怪談の読者は、別の層にいるのではないかと思う。(実際、書店ではこの二つは別ジャンルとして扱われていた)
半信半疑であっても、怪談を手に取る時の気持ちはその他の本とは少し違う。怖いもの見たさは、原始的な欲求だ。未知の世界への恐れと興味。「実話」を求める人はそれが特に強いのではないだろうか。「実話」という言葉はより怪異を身近に感じさせてくれる。信じてないけど信じていたい。そんな葛藤が「実話」怪談の人気の秘密かもしれない。

かつて、人々はありのままに闇の向こうの世界を感じることができた。そんな時代が、少しうらやましく思えてしまう。