あなたとならば死んでもいい〜立川談春独演会〜

立川談春は、男だ。ただの男じゃない。昔気質のいい男。
彼が古典落語しかやらないのは、現代よりもお江戸の時代のほうが、自分らしく生きられると感じているからかもしれない。
昨年末のフェスティバルホールで行われた独演会に引き続き、サンケイホールでの独演会。前回に引き続き、チケットは完売。インフルエンザ騒ぎにも関わらず満員御礼である。


談志をはじめとして、立川一門の落語家はみなアツい。誰もやったことのない斬新な試みに挑みつつも、決して伝統をおろそかにはしない。どんなに人気を取っても地位を確立しても、ラクをする気がまったくないところに頭が下がる。
そんな中でも、もしかして談春は一番アツくて頑固な人かもしれない。


当日配られたパンフレットの言葉にしびれた。少し長いけど引用。
「芸人に上手も下手もなかりけり 行く先々の水に合わねば」
昔からよく言われることですが、この教えの本質を今まで私は思い違えていたようです。愛される芸人になりたいと願うから、欲が出て迷ってしまう。
でも、欲を消すことは出来ない。

それなら欲の方向を変えることが出来れば、これまでとは違う風景が見えてくるのではないか。
愛されるのではなく、愛することはできないか。


番組は当日までわからない。今日はいったい何を見せてくれるのだろう。一本目は「おしくら」。三人の旅人たちが田舎の宿で繰り広げられるドタバタもの。会場内が笑いに包まれ、期待はさらに膨れ上がる。果たして次は何が来るのか……。仲入り後のマクラでは、日本で初めて”I Love you”を訳した二葉亭四迷の話題に触れる。四迷はこれを「あなたとならば死んでもいい」と訳した。明治の当時、「愛する」という日本語はまだなかった。この話は、”I Love you”と「死んでもいい」が同じ意味だった頃のお話……。何だろう、この流れは。何が来るのか。マクラが終わって、話に入ってもまだ分からない……、と思った瞬間、キタキタキタ! 場内がどよめく。「紺屋高尾」だ!
この興奮、前回フェスティバルホールで、「芝浜」がきた瞬間と同じ熱気。
観客がいっせいに前のめりになる。


「紺屋高尾」は、有名な古典落語の演目のひとつで、純愛をテーマにした人情話。まじめで実直な紺屋の職人が、ふとしたことで吉原の最上位の売れっ子花魁、高尾に一目ぼれしてしまう。遊女といえども、花魁となれば大名や大金持ちしか相手にしない。最高の位を持つ彼女は客を選ぶ権利があり、たとえどんなに金を積んでも相応の身分がないと会うこともできない。皆からあきらめるように諭されるが、会いたい一心で三年がかりで金をため、とうとう若旦那のふりをして高尾に会いに行くのだが……という話。
不器用で純情な久蔵は、まさに談春のキャラとかぶる。
好きだから、ただ好きだからという理由だけで、日常のすべてを仕事にささげ、ただ高尾に一目会うという望みだけで生きていく。久蔵が談春なら、高尾は落語そのもの、芸そのものなのかもしれない。


高尾と一晩過ごしたあとで、隠していた両手(手を見せると職人とばれてしまうから)を高尾に見せ、自分の素性をばらし、愛の告白をするシーンは圧巻。「紺屋高尾」は好きな話で、様々な噺家のものを聞いた。しかし、こんなにも切ない、こんなにも情熱的な久蔵を見たの初めて見たかもしれない。
久蔵の純情に高尾が心を動かされる場面も、他の人よりもていねいに描いていたと思う。


お大名の奥方にもなれると言われた高尾だが、久蔵の愛に心を打たれ、ただの職人の妻になることを自ら選ぶ。「紺屋高尾」はまさに「逆シンデレラ」物語で、語る人によっては単なるおとぎ話に終わってしまう話だ。
そこを談春は、説得力のあるリアルなラブストーリーに仕上げている。
そりゃこんな人に惚れられたら何もかも捨てて嫁に行くわ、と思わせるほど久蔵は深みのあるいい男で、高尾も単なる美女ではなく、ちゃんと人格と意思が感じられるいい女だ。このへんのキャラクターの作りこみに情熱と愛を感じる。


落語はやっぱり面白い。談志と志の輔もいつか生で見たいなぁ。