レビューか?レビューなのかもしれない

「自分というものは、どういう切り口で表せば一番鮮やかに見えるのだろう」ということを真剣に考えるべき、とは、アートディレクターの佐藤可士和氏の言葉。なるほど、それは確かに大切なことだ。だけど私にとってそれは何なんだろう? 私自身とまではいかなくても、例えばこのブログにとっては? この言葉を初めて見た時から、ずっと頭に引っかかっていたが、答えが出なかった。


コラムとか、小説とか、そういう分け方ではない。仕事か、趣味かみたいな区別もピンとこない。そんな風に分けてしまうと、行き詰ることは目に見えているし、どんなことが仕事になるかなんてわからない。お金になると信じたことがまったく求められていなかったり、遊びでやっていたものが意外に仕事につながったりすることが世の中多々あるのだ。はっきりと仕事のジャンルが決まっておらず、今の私はなおさらのこと、あらゆる可能性を追求したい。何かもっと、私が書くもの全体にわたった、ぶれないテーマがあるはずなのだ。


それが「レビュー」ではないのかと思い当たったのはつい最近のこと。
友人に言われた一言がきっかけだった。
ただ、彼女の言っていたのは「本や映画のレビュー」について。それらの記事だけ、”ライターの仕事”をアピールするために別ブログに移すべきというアドバイスだった。最初に聞いた時は、それほど心が動かされたわけではなかった。ブログを複数持つ気はなかったし、今もそうするつもりはない。
だけど、「レビュー」というキーワードは後からじわじわと私の中で大きくなっていき、ふと、ぱちんと弾けた。

レビュー:英語のレビュー(review)からきた言葉で、語源的には「再び(re-)よく見る(view)」(三省堂辞書サイトより)
そう、何も本や映画の評論だけがレビューではない。人生で出逢うものはすべてレビューの対象ではないか。
私の書くもので、レビューが最も生き生きとしているのであるとすれば、それはレビューを書くときの意識がそうさせていたのだと考えることができる。
私はどうも、一度見たものを取り出してじっくり眺め、自分なりの解釈を与えることが好きらしい。レビューが得意なのは、評論というものが自分の性質にぴったり合っていたからだろう。
それならば、何もかもをレビューとして書けばいい。本も、映画も、人も、自分に起こった出来事も。フィクションだけが適用外だが、不可能ではない。小説は世間や時代をレビューしたものの集大成なのだから。
何だか答えが少し見えてきた気がするので、しばらくはこの方針で続けてみようと思う。カテゴリーの変更が少し面倒なのと、新しいカテゴリーはどうするかが、ちょっと考えどころだが。


自分自身を見ることは、本当に難しい。
だけどこれが、自分を解き明かすひとつの光になるんじゃないかと、淡い期待を抱いている。