チェ 39歳別れの手紙 於 TOHOシネマズなんば

ネタばれ注意だよ。


先月見に行ってきた「チェ 28歳の革命」(1/29の記事参照)の後編にあたる作品。ドキュメンタリータッチの「28歳」に引き続き、本作も事実をひたすらに時系列に追っていくというつくり。その忠実さは、前作よりも緻密さをきわめ、もはやドキュメンタリーというより実況、ニュース番組に近い気がした。


革命に成功したキューバを離れ、ボリビア革命運動に尽力するチェ・ゲバラ
自らの理想に反して、思うように地元の支持を集められず焦りを感じる日々を送るが、とうとうボリビア軍に逮捕され、その戦いの生涯を終える。


ラスト数十分は歴史に残る素晴らしさ。ゲバラの最期を描くために、この映画があると言ってもいいくらい。


この映画には一貫して人物のモノローグがなく、客観的な描写のみにとどめているので、最後の数時間、チェが何を考えていたのかを表現するのは役者の演技、監督の演出のみだ。
言葉で説明されることはないが、監督の中では、はっきりとチェ・ゲバラの人生の解釈がなされているはず、それが分かる。言葉で語る何十倍もの迫力で見る者に迫ってくる。


真摯な、真摯な生涯。
死の瞬間、映像はゲバラ自身の視点となる。
懸命に見える風景を見つめ、少しでも視線を前に向けよう、顔を上げようとする。自分を殺すものの顔を見ようと必死で。
彼を撃った兵士の顔が、最後までゲバラに見えないのは思えばかなり象徴的だ。
これをやりたかったんだろうなぁ。


ゲバラの死の描き方に、私が昔から思っていることを改めて考えた。
「最後の瞬間まで、明晰な意識を持ち、成長に向かっていたい」
簡単に言うと、どんな最後を迎えようと、パニックや失望に包まれたまま死にたくない。
どうせ死ぬにしても、前のめりに倒れたい。
最後の最後まで、心の成長があると思いたい。
まあ、私は意気地なしなので、実際はとても無理かもしれない。
だからこその理想である。


生きることの素晴らしさを伝える映画は多いが、死についても同じく尊さを伝えるべきだ。
そのことに気付かされた映画。


とはいえ、最後に白状させてもらうと、映画の前半から中盤にかけては、あまりに単調で見ていて若干つらかった。
生きるか死ぬかの銃撃戦をやっているシーンでも、居眠りできるのもまた、人間だな、と、そういうことも思い知らされた。


DVDが出たらまたゆっくり見直したいな。