右脳と左脳と

お酒を飲んで楽しく話ながら、思ったこと。
リラックスできる相手だからというのもあるけど、自分の思ったことをできるだけそのまま
誤解のないように言葉で伝えられるというのは、うれしいことですよね。

相手の受け取り方までは分からないにしても、せっかく言葉というものをお互い使える以上、
それをフルに使って意見の交換ができたらいいなと、いつも思います。

私は一時期、右脳開発に興味を持ってたことがありました。

一般に左脳は、論理的思考、計算能力、言語能力を司り、
右脳はイマジネーション、感覚、直感、空間認識などを司さどると言われておりますが
それでいくと私はどーも、右脳の能力が足りないなと日々思っていたわけなんであります。

人によっては、私のやっていることは右脳的に思えるかもしれませんが、
私はおそらく、完全に左脳人間です。
もちろん、右脳的思考の理解はできます。音楽や絵画も好きだし、直感的な思考の理解もできます。
だけど、そんな風に理屈で考えるあたりが、もうすでに左脳的思考です。

思えば、私の思考ほぼ言語で作られていて、映像イメージで細部まで作ることはどうも難しいようです。
だから、時間や空間を身体で認識するのが苦手なんだろうなあー。
空間認識が苦手ということは、自分を客観的に見ることが苦手ということに繋がります。
言語的思考というのは、どうしても主観的にならざるをえないので
例えば、1メートルひいて自分の姿を見る、というストレートな映像イメージを頭に浮かべるのがどうしても難しいです。
映像ですぐ浮かぶ人には一瞬で済むことなんでしょうが、私の場合、言葉でその状況をこと細かく説明する必要があるわけです。

一度理解すれば、二度と忘れませんが、分からなければ一生分からない。

最近はっきり分かったのは、私の場合、
「何となく」「こんな感じ」で「雰囲気をつかむ」
というのを、言語抜きにやるのは絶対無理だ、ということ。

上手く具体例が思いつかないけど、たとえば演技で、「うーん、もうちょっとオーラが欲しい」
とか言われてもそれだけじゃ絶対理解できない、てことかな。
「オーラが必要」っていう意見は理解できても、そのために何をどうやって、どう解決すれば
いいか、ていうのは結局理屈で説明してもらわなきゃ本当の意味では分からない、と思います。

とはいえ、自分がそんな人間なのにもかかわらず、言葉じゃないイメージで何となく
人にものを伝えようとしていたことがあって、今はすごく反省してます。
自分がはっきりわかんないものは、人に伝えることは絶対無理。

「言葉にできないけど、なんとなくこんな感じ、分かって!」
というのは、結局自分でも本当には分かってない。
感性の人になりたい!みたいな憧れがあったんだと思うけど、ダメですね。やっぱ。

言葉じゃない情報を伝えるには、絵で細部まで描くとか、音楽ですべて再現するとか
演技でまるまる理想の形をやってみるとか、それくらいやらないと伝わりません。

それができない人間は、やはり言葉で伝えるしかない。

言語というものを過信しているわけじゃないし、理想視しているわけじゃない。
私は詩人ではないです。
カッコ悪くて回りくどくても、言いたいことが伝えられるツールとしてあればいいと思う。

それに気付いてから、右脳、無理して開発しなくても別にいいか・・・、と思えるようになりました。
映像記憶とか、速読とか、フォトリーディングとか、できたらすごいだろうけど、まあいいや。

やりたいことは色々あるけど、何を作るにせよ
遠回りになっても言葉をベースにものを作って行こう、と思ってます。