救いの日

「お父さんはいい人だった。ここに来てから色々とお世話になって、他のみんなにも慕われていましたよ」
 そう言ったのは、父としばらく同室だった上品そうな男性だった。父と同年代くらいに見えた。入院中に父と親しくしていたらしいが、私はほとんど話したことがなかった。
「男の人というのは、そういう時があるものなんだから、恨まないでやってほしい」
 その人は、そうも言っていた。穏やかそうな顔をして、何を言うのだろうと思った。腹が立つと同時に、単純に不思議にも思った。いったい何を思って残された家族にそんなことを言うのだろうと。
 十年間行方不明だった父が私たち家族のもとに帰ってきたのは、私が二十歳の年だった。
いわゆる蒸発した置きみやげは数百万円の借金。残された母はひとりで後の処理に奮闘し、私たち兄弟を育ててくれた。
進学や就職、やがて私たちは父親抜きのそれなりの穏やかな日々を取り戻しつつあった。父から連絡があったのは、そんな春のことだ。父は末期のガンに冒されていて、余命一年ということだった。
  結局私たちは父を受け入れた。病院にも交代で通ったし、自宅にも帰ってきて何日か過ごした。親戚や知人たちにもそのことを知らせた。父は帰ってきたのだ。しかし、私は理屈では分かっていても、父を受け入れられなかった。私たちはお互い遠慮しあい、気を使って日を過ごした。かつては父が帰ってくることを夢見ていたというのに、どうすることもできなかった。

「お父さんはいい人だったよ」

 その言葉を、最近になってやたらとよく思い出す。しっくりこないまま、父が最後の日を迎えてからもう十年経つ。出ていって十年、そしてさらに死んでから十年。父の不在が始まって、実に二十年の歳月が経った。
自分の何が変わったかはわからない。だが、大人になって色々なことも経験した。あの頃わからなかったことが十年経った今は少しは分かる気がする。あの人がくれた言葉は、父への慰めではなく、家族の救いになる言葉だった。
 私の父を、かばってくれるような人たちがいてくれて良かったな。私たちの父が最後まで人に好かれるような人で良かったな。今は素直にそう思える。あの人の優しそうな目が、今でも忘れられない。ろくな返事もできなかった、あの頃の私を恥じる。

今年も春が来て桜が咲いて、散ってしまった。やっと、私たちのもとへ父が帰ってきたような気がする。