「好きなこと」に復讐されてもたじろぐな

何日も更新とまったかと思ったら一度に何件も更新したりして。
読みにくいったらありゃしないブログですが、思いついた時に一気に出しておかないとまたいつ眠りにはいってしまうかわかりませんのでおゆるしください。


ライターの学校に通っていたおかげで、年下の友達がずいぶんできた。
もちろん年上の友達もだけど。
私も含めみんな文章に関する仕事につきたくて、一度はあきらめたり、もしくは急に思い立って、一年間勉強していた。
ついこの間も、その中の友達と朝まで飲んでいて、お互い色々と行き詰りを感じていることを語り合った。
そんな中で気づいたこと。


卒業後、希望する仕事につけた人も、今まだがんばって探している人もいるが、悩みはつきない。共通するのは、長年の夢と自分の実力とのギャップ。

私も例外ではない。長い間、ものを書いたり、想いを表現するということを続けてきた。好きだというモチベーションが下がったことは一度もないが、はなから「お金にはならないもの」「お金になる書きものは面白くないもの」と決めつけていた。
そのおかげで今、実際に仕事にしてみて困ることが山積みだ。
あらゆる基本を一から学びなおすためには、自分の無力さを受け入れなければならない。今までの時間が間違いでなかったことは確かだし、芸術という表現は決してやめることはないだろう。しかし、芸術にあまんじていた部分も少なからずあると思う。


書くことを職業にしてみた時のきちんとした知識、どこでも通用する技術、どんなことにでも対応できる経験が、私たちにはまだない。

好きなことをせっかく始めたのに、うまくいかない。勇気を出して飛び込んだのに自分の力のなさがどんどんあらわになっていく。
どうしてこんなことになるものか。

少し古い記事だが、去年のPHP12月号に載っていた安西水丸氏のインタビューを思い出した。印象に残っている記事で、いつかどこかで書こうと思っていたのだが、多分それが今だ。

あきらめていたイラストレーターへの夢を、社会人になってから一念発起して叶えようとしている人へ、安西氏が言ったこと。


(※ちょうど本誌が手元に見つからないので、うろ覚えで書いてすみません。本が見つかり次第、正しく書きなおします)
「あきらめていた夢を叶えようとするのは大変いいことだ。ただ、これからは、一度捨てた夢に復讐されることを覚悟したほうがいい。好きなことはどんなことがあっても捨ててはいけないものだった。それを思い知るつらいことがこれからあるだろう」


そう、夢を追うことはいいことばかりではない。しかも人よりも遅れて追うのだから、それなりの反動を受けるのはあたりまえのことだ。
ちょっとやそっとのことであきらめてしまっては話にならない。

一度見捨てた夢の復讐を受けとめ、再び夢から認めてもらわなくてはいけない。


そんなことを思ったよ。お酒を飲みながら。