おしゃれは防御でも攻撃でもなく

Mちゃんは素敵な人だ。明るいし優しいし、しかもめちゃくちゃ美人。
そんな彼女からお誘いがあったので、喜んで向かってしまった。
知り合ってそんなに時間は経ってないが、お誘いのメールなんかもらうとドキドキしてしまう。「え、ほんとに?」ってときめいてしまう。なんていうかセレブにお近づきになれたような、そんな気にさせてくれる人なのだ。

待ち合わせに現われたMちゃんは、いつもどおり超美しい。大げさでなく足の先から髪の一本一本まで、気合が入っている。
正直言うと普通の人ならやりすぎで浮くくらいのおしゃれをしているのだけど、彼女の場合は全く違和感がない。中身が外見に負けてない。「そんな格好をするのがあたりまえ」の人に見える。

性格はとにかく飾らない気さくな人で、色々お互いの近況などを話したのだけど、盛り上がったところで、前々から気になっていたことを聞くことにした。

「どうしていつもそんなにキレイにしてるの?」

おしゃれを命にしている人には全くの愚問。美を追求する人たちの意識の高さは充分にわかっている。
しかし、そうだとしても私は聞きたい。
毎日の生活に追われ、仕事に追われ、人間関係に悩まされ、時には失恋だってする。それが人間のはずだ。
おしゃれになんて気を遣う余裕のない時もあるだろう。

たとえばその日のMちゃんは、前日ほぼ寝ないで仕事をし、朝自宅に帰って仮眠をとって、エステに行ってジムに行って、約束に来てくれた。待ち合わせの相手が恋人だろうが友達だろうが、絶対に手を抜かないのがMちゃんの信条なのだ。
しかし、それが365日ずっと続くものだろうか?

それに返ってきた言葉は簡単なもの。

「だって、会う人に喜んでほしいし、私と会ってよかったと思ってほしいから。自分がつらい時があっても、相手には関係ないこと。そんな時でも喜んでもらえたら、『やった!』て思う」

目からウロコ。
もちろん、同じように思っている人には何の不思議もない答えだとは思うが、私にはちょっとした衝撃だった。

私はずっと、おしゃれは自分のためにするものとしか考えてなかったのだ。
自分の気持ちを高めるためにするもの、もしくは他人に自分をよく見せるためのもの、失礼にならないようにするもの、またはバカにされないようにするもの。
思えば、おしゃれを防御か攻撃のための武器みたいにとらえていた。

しかし、Mちゃんは人を楽しませるためにするものだと言う。
わざわざ時間を取って来てくれた人に喜んでもらえたら、心からうれしいと言う。

この差は大きい。同じ気合を入れるにしても、私のような考え方では、「ちゃんとしないとバカにされる、自分をできるだけよく見せよう」というのがおしゃれの動機となっているわけだから、ちょっとテンションが下がっただけで、もうやる気がなくなってしまう。さらに「自分をよく見せる」という部分に、後ろめたさや疑問を感じてしまうものだから、なおさらだ。
「自分自身を楽しくするため」という動機もまた同じだ。そんなことがどうでもよくなるほど落ち込むと、やっぱりやらなくなってしまう。

そう思うと、Mちゃんの明るさ、優しさはすべてまわりの人への愛なんだということがわかる。
美しさも含めて、彼女は愛をふりまく人なのだ。

Mちゃんに比べたら、私はなんとネガティブキャリアーだったことか。どうせなら、暗い気持ちや表情じゃなくて、もっといいものをまき散らしたいものだ。

というわけでGWには、一緒におしゃれして出かけようという約束をしてきた。ちょっと楽しみな予定が一つできて、これから自分が変わっていけるような、ワクワクした気持ちに包まれている。