めんどくさいっていうな
漱石の「三四郎」で、主人公三四郎が美禰子に告白する変わりに家でふて寝してしまう主人公の気持ち、分かるだろうか?
私はよーく分かる気がする。
昔からやたらと心身ともに起伏が結構激しいほうである。
やたらと衝動的にパッパと動き回ってるかと思うと、急にネジが止まって頭も身体も動かなくなってしまう時期が繰り返し訪れる。
ネジが止まると、何もかもがめんどくさい。そう、目を開けて起きあがるのさえめんどくさいのだから始末に負えない。
まあ、基本普段からめんどくさがりなんだけど、それに輪をかけた状態になってしまうわけである。
それで考えた。めんどくさいってなんだろう。
要するに、「努力に対して期待する結果が得られないかもしれない不安」だ。
私の場合。
ごはんを作ろう! → いちから手作りしてもどうせ食事を楽しめないかもしれない
メール(手紙)を出そう! → どうせ思うようなリアクションないかもしれない
おしゃれをしよう! → どうせたいして変わりゃしないかもしれない
真面目に生きよう! → どうせ良いことなんかないかもしれない
おそるべしネガティブ思考。こうやって人は病んでいくんですな。
ネジ切れの時期がどういうタイミングで来るかというと、たいがいは落ち込んだり鬱になったりしてる時。
しかしこの、めんどくさいの負のパワーの真の恐ろしさはこれだけではない。
なんと自分にとって大事なことほど、はげしくめんどくさくなってしまうのである。
なぜなら、期待が大きい=不安が大きい だから。
「この期待を裏切られたらどうせえっての」
という恐れが大きければ大きいほど、それに向き合うのがイヤになってくる。最悪である。
世間でたまに見られる不可解な人というのは、きっとこの症状が進んだ人たちに違いない。
●大事な仕事を金曜日までに仕上げなきゃいけなくて、自分もその仕事すごくやりたかったくせに、結局木曜の夜に必死にやる人の気持ち、普通に分かりすぎる。
●やっと面接が決まったのに逃げ出してしまう引きこもりの気持ち、分かる気がする。
●幸せなのに意味もなく姿を消してしまう花嫁の気持ちも、分かると思う。
だがしかし、私はそんなことはしない。するわけにはいかない。
なので、あーめんどくさい……、と一瞬でも思ったことはすべて、わざと全力でやってしまうという荒療治を取ることにした。こういう記事、書くとかね。
そうすると激しくめんどくさくてしんどいんだけど、やりだすと夢中になってしまう。
要は、取りかかるまでが勝負なのである。
どんなに取りかかるのがおっくうでも、めんどくさいと思ったことをやらずにいるのって、さらに苦痛になって返ってくるのだ。
対処法として思いついたのは、すべてのことを大事に思いすぎないようにすること。
肩に力入りすぎるとしんどくなる経験は、誰しもあるはず。
あと、自分を責めると余計に逃げたくなるので要注意。
勉強はちっとも進まないのに、息抜きのゲームや部屋の掃除には熱中できるのはなぜか。
勉強を大事に思ってるからこそ、それ以外の気楽にできることに取りかかりやすいからである。
最近では、早く申し込まないといけない書類を放置しまくって、DSで英語の学習ゲームをやったらものすごく上達した。
とはいえ、思いこみをコントロールするのは、なかなか難しい。
「ストレイシープ」と美禰子は言ったが、まさに迷える子羊そのものの「取りかかるのめんどくさい」病、解決法知ってる方はぜひご教授を。