なごり雪も降る時を知り

遅れてくる友人を待ちながら、ネットカフェにて。

私はフォークソングが結構好きだということに最近気づいたわけなんだけど
実際、もうちょっと早く生まれてフォークソング全盛の頃とかに学生時代過ごせたら盛り上がっただろうなーと思う。

歌というより、個人的なことを淡々と熱く語るパフォーマンスのようだね。フォークソング
つっこめないくらい真面目で切々としてるとこがいいな。

イルカの「なごり雪」という曲が大好きで。前から好きだったけど、この前、懐かしの映像みたいなんで本人が歌ってるの
見て感動してさらに好きになった。イルカ歌上手い! (当たり前)

曲が良いっていうのはもちろんのことなんだけど、「なごり雪」は歌詞がすばらしい。風景と状況の描写が美しすぎる。

汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
東京で見る雪はこれが最後ねと
寂しそうに君がつぶやく

美しい文章。小説の冒頭みたいである。
言葉の響きもきれいだし、何よりこれだけでこの歌がどういう状況かを既に語っている。
春になって別れが来るというテーマ自体はそれほど珍しくないものだが、言葉の選び方に猛烈にセンスを感じる。

この歌が歌っている感情やメッセージは、直球で素直なものであるにも関わらず、サビは

今 春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

である。この言葉を通して、後悔とか覚悟とか新鮮な驚きとか悲しみとか、そういうものを表現しているのである。

君はずっときれいになった。と思って立ちつくす僕がいる。そんで?ということまでは言わない。言う必要がない。
そのまんまの形でぶつけないところは、詩の基本だとはいえ、やはり上手い。

しかし、この曲を聞く度に思うことはもうひとつ。
当時の日本にはまだ、「決定的な別れ」というタイミングが人生にいくつもあったんだろうなあということ。

この歌が歌われた頃は卒業、就職、帰郷、結婚、は、今よりももう少しだけ、重みを増した言葉だっただろう。
幸か不幸か、現在にはもう、「後戻りができない」という状況は少ない。
別の言い方をすると、過去と別れる覚悟をする必要がなくなった。

それゆえに、「なごり雪」で描かれるようなドラマも成り立たなくなってきた気がする。
だっていつでも、汽車を降りてもいいし、追いかけてもいいんやもん。

男も女もその気になれば少年少女のままで人生楽しんでていいし、
別れたところで携帯もメールもあるし、ネットでも繋がっている。
卒業しても就職しても結婚しても、過去の自分を捨てなくてもよくなった。

だから、決定的な人生の岐路、と呼べるような時期がなくなってしまったんじゃなかろうか。
もちろん、今だって岐路はあるけれど、変化はずいぶん緩やかだろう。

「22才の別れ」とか今聞くとあまりの価値観の違いにえー!ってなるもんね。すごい好きだけど。

今には今のドラマがあり、歌があって詩があるわけだから、それでいいんだけどね。

だけどもう、フォークソングはもう流行らんだろうなあと思うわけで、だからこそなんか愛しい。