どこに出かければいいかわからなくならなくなったらどうする?

という問いに

「だからそうならないために、普段から出かけていく先を自分で見つけなきゃ」
と、M氏は語った。


たとえば、何一つ自分を縛るものがないとする。
どこにもいかなくていいし、何もしなくてもいい。
お金に制限はあるとしても、時間はすべて自由だ。

そこでどう動くか。人には二種類あると思う。

行きたい場所、やってみたいことを計画し、たとえ一人きりでも
それを実行する人。

または、やるべきことがなくなり、何をすればいいかわからずぼんやりする。
してみたいことはあるけれど、一人では何もやる気もおきない。

普通誰でも人は、自分は前者だと思うはず。私もそうだ。
人一倍、やりたいこと、行きたいところがあるはずで、何より自由を欲していた。

しかーし、現実には制限がなくなったからと言って誰もが「自由」に動き回れるわけではない。
むしろ、その逆。
会社や学校という行く場所を失ったら、途方に暮れてしまう。

縛るものがなくなって動ける人は、制限がなくなる前から「自由」に行動する練習をしている人だと思う。

冒頭のM氏の言葉でそれを再認識した。

普段から訓練しておかないと、いざというとき一人で動けない。
それは、行動力とか積極性とか体力とかそういう話ではなく

ただ、「興味を持つ」訓練。

会社に行かなくてよくなったら、休みはたまの楽しみではなくなり、単なる日常になる。
そんな中で、いつまで外の世界に興味を持っていられるか。

会社や学校は、いわば無理やり自分を外に連れ出してくれる。いやいやながらも通勤通学では自動的に都会に出ることになるし、本屋やCD屋にも立ち寄ることができる。
しかしそれがなくなって自由になってしまったら、かなり積極的にならないと外の世界とは繋がっていられない。

当たり前の人には当たり前にできることだが、ナマケモノの私には大変なこと。
誰にも何にも文句を言われないなら、自分が強く欲さなければ何もできない。
普段、訓練を積んでいないナマケモノは、どこにも行けず、一日迷ってゴロゴロしてしまうのだ。
会社や学校をやめた人が、自宅に引きこもりがちになるのはごく自然なことに思える。

去年一年間、フリーでいたことでそれを痛いほど実感した。
「自由」でいるためには、体力的にも精神的にも健康でいること。努力が必要だ。


束縛から逃げたなら、今度は自分で自分を動かさなければならない。
自分で行きたい場所を決め、きちんとそこに向かう、ただそれだけのことが意外に難しい。

「自分との待ち合わせをちゃんと守れるか」

本当の独立した人、自由な人になるには、それが一番大事になる気がする。