自信がない人の戦いかた

久々の「自分とうまくやる方法」カテゴリ更新。
以前から書きたかったんだけどうまくまとめられなかったこと。


自信のなさっていうのは、ここ一番の時に自分の邪魔をする。
また、普段から表面に出てしまうものでもあるので、特に問題がないにも関わらず、マイナスな印象を相手に与えてしまう。

で、その結果ますます自信をなくしてしまうという悪循環。
「もっと自信をもちなよ」と言われてもどうにももてないし、どうすればもてるのかもわからない。自分なんてそもそも何一つ自信がもてるところなんてないと気づく。もう何をやってもダメ。だって自分だから。とか何とか、ぐだぐだ考えている間に思考はどんどん負のスパイラルにはまっていく。

このへんのところは身の覚えのある人は十分分かっていることだと思う。書くと長くなるし書いても仕方がないので省略。


結論から言うと、自信がなくて悩んでいる人がすることは2つ。

1.今この瞬間から何も考えずに自信をもつ
2.他の人に自信のないことを理解してもらおうとするのをやめる


まず1。自信なんていうのは多分そんなもの。自信のある人というのは根拠があるから自信があるわけでもない。中には根拠のある人もいるでしょうが、同じ根拠があっても自信がもてない人はもてない。要はただしっかりすること。自分に「しっかりしろ」とか言い聞かす。それ以上考えない。考えるとまた自信なくなるから。
はい、反論の前に、2に移ろう。
実はこっちの方が1より大事。2ができれば、おそらく自動的に1ができるようになる。

私自身、ずっと自信がなくて、長年悶々としてきた。それはもうありとあらゆる面においてである。容姿はもちろんのこと、能力も、知識、自分がもちうるすべてにおいてと言ってもいい。

で、それをことあるごとに他人にアピールしてきたと思う。
私がいかに自信をもっていないかを、何とか理解してもらおうとしてきた。

聞かされていた方はどんなにかウザかっただろうとは思うが、私は私で必死だった。何にそんなに必死だったのか。
私は結局、誰かに”自信をもたせて欲しかった”のだ。


「自信がない」と言えば、「そんなことない」と否定してくれる。運がよければ、「あなたにはこんないいところがある」と褒めてくれるかもしれない。自力では自信をもつことができなかったから、第三者の力で、自信を与えてもらおうとした。


自分では自分を綺麗だと思うことができなくても、恋人が言ってくれれば信じることができる。
自分では才能があると思えなくても、友人が言ってくれればもしかしたら本当なのかもしれない。

しかし、いつでも他人から承認がもらえるとは限らない。根本から自分を信じるということをしていないから、少しくらい言葉をもらっても麻薬のようにすぐに飢えてきてしまう。
そして結局、また自信のないアピールを繰り返すことになり、周囲をウンザリさせてしまうのだ。

たとえば、親が子にするように、辛抱強く愛情を与えてくれる人が近くにいれば、自信を本物にすることもできるかもしれないが、そんな面倒なことを人に求めてばかりはいられないし、世の中そんなに甘くもない。


なので、誰かに「自信を与えてもらう」期待をいさぎよく捨てよう。綺麗だと言ってもらえなくても、才能あると言ってもらえなくても、自分は自分だ。本当はすべてをもっているのだと思えばその瞬間にそれは真実となる。
ていうか、それを真実と決める。

自信のなさ、というのは色んな要因があって、根本的解決というのは難しい問題なのだけれども、あえて言いたい。
自分との果てしない戦いに疲れ果てた人なら、分かると思う。

今、この瞬間から、しっかりしよう。自分を立て直そう。褒めてもらおうがけなされようが、関係なくしっかりしていよう。


「しっかりする」って変な言い方だけど、「自信をもつ」よりはしっくりくる人にはくるんじゃないかなあと思って使ってみた。少なくとも私には素直に受け入れられる言葉な気がしたので。

自信のない人は、愛されたいという気持ちが強いだけなんだけど、それが結局悪い結果を生んでしまったりしてしまう。
だから、月並みだけど自分を愛するということが大事なんだと思う。その言葉がキモいなら、「自分を守る」ことが大事なんだと言い換えてもいい。

終わらない悪循環から「自分を守る」ために、「しっかり」しないといけないと思う。

これはまだ私自身も解決しきっていない問題なのだけど、だからこそ今、考えなければいけないことなので、まとまらないなりに思いつくままを書いてみた。